線路は続くよどこまでも

気持ちが昂った時に書きます

「天気の子」感想

 こんにちは、れいるです。元気にしてます。今回は、映画「天気の子」を観て感じたこと、思ったこと、考えたことをつらつらと書いていきたいと思います。

 

 一応ですが、ネタバレいっぱいです。読むなら複数回観てからの方がいいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

  それでは、いろいろ書いていきます。

1回目を観終わった時の雑感

 ん~~~~~~~って感じでした。まるっとすっきりいい映画だったという感じではなく、ん~~~~~~~って感じです。

 とりあえず陽菜がかわいくて絵は綺麗で主題歌も良くて、感覚的にはアドだなぁという感じだったんですが、帆高の決断が話の筋の中で占める割合が大きく、この決断、選択が完全無敵の大正解ってわけでもないように感じたので上のように思ったんでしょう。

 世界かひとりかっていう選択ですもんね。そりゃ簡単には結論出せないと思います。賛否両論~~~みたいな話はここから出てくるのかもしれません。でも、こういうラストだからこそ、感想を言いたくなるし、他の人の見方も気になったりするのかもしれません。いろんな人の見方や考え方を知ったうえで改めて解釈したい。初見の1回だけで解釈を限定するのは違うかもな~って感じてたような気がします。

 だからすぐ2回目行きました。

 

2回目以降の感想

 今、この記事を書いている時点で実は3回観たんですけど、ある程度考えながら見れるようになってから気づくことはあるわけで、そういうところを書いていきたいと思います。

 

内容に関して

K&Aプランニング

 名前の由来なんかあるんやろな~って考えてみたら須賀圭介とその亡くなった奥さんのあすかの下の名前から来てそうです。愛があるな~~~

 

雨を喜ぶ帆高

 冒頭、帆高が船の上で嬉しそうに雨に打たれるシーンがありました。逆張り行動かな~と思ってますが、島が息苦しくて出てくるぐらいなので、一人雨に打たれるという解放感を味わって喜んでいたということはありえそうです。

 

陽菜がホテルで突然消えるシーン

 晴れ女の力の代償として、この世から消えるかもしれないと陽菜から告げられた帆高は泣き出してしまうわけですが、そのあと陽菜は眠る帆高に「泣かないで」と声をかけ、その直後、天へと消えてしまいます。帆高の気が晴れるのを祈ってしまったんやなぁ、と思いました。

 

世界観について

固有名詞による現実性演出

 とにかく固有名詞が出てきたように思います。コラボCMをした企業が主でしょうが、カップヌードルどん兵衛からあげクン、天然水や角瓶、新宿や田端などの駅名、TOHOシネマズ、白戸家のお父さん(1か所しかわからん)、Yahoo!知恵袋、iPhoneの着信音とか。めっちゃ現実ですよね。背景描写もリアルですし、この話は現実のことなんだってことをとても強調していました。

 だからこそ、帆高がパトカーの中で天気と引き換えに陽菜が消えたと言ったときに警官が「鑑定要りますかね」と言うことに重みがあるし、彼岸に行こうとして須賀さんに止められるところも帆高が狂っているように見える。

 夏美が就活で御社御社言ってるのも現実的ですよね。現実。.……。

 

いにしえ日本語の神秘的な世界観

 天気が天の気分だという言葉がありましたが、こういうところに、現実でも「なさそうなもの」を「ある」と言うことがあると示されていると考えています。魂とか占いとか。天気という大いなる自然を前に霊的なものを感じ、それを言葉にしたという例は結構あります。雷が神鳴りとか、お天気雨のことを天泣や狐の嫁入りと言ったり。

 天気以外にも、映画ではお盆のくだりがありました。彼岸から死者の霊が帰ってくる。あるかどうかわかりませんが、ありますよね。そういう現実的不思議世界観がこの映画には貫流していたと思います。

 

てるてる坊主

 晴れを願うと言えばてるてる坊主です。映画でもそういう象徴として出てきました。ここでは陽菜がリアルてるてる坊主とでもいうかのように100%の晴れをもたらすわけですが。

 てるてる坊主の由来ってご存じですか?調べたらある程度は分かると思いますが、坊主の生首を模しているとか、中国の掃晴娘の話(結構そのまんまで天気の子と似ている)をもとにしているとか。いずれの例でも、人柱という点において共通しています。

 これも、いにしえ日本語と似た神秘を感じますね。

 

雨の魚

 実際にファフロツキーズ現象(人生初単語)として魚の形をした塊の水が降ってきたら驚きますけど、これも一つの見立てやアニミズムと捉えると面白いと思いました。

 小さい子供が雨粒を見て「おさかな~」と言うシーンがありますが、その子が想像力を以って雨を魚と見立てているということはこの現実世界でもありえる話です。

 そして、実際には生きていないものに命をみる点をアニミズムだとすると、これも「なさそうなもの」を「ある」と言うことになります。

 アニミズムと語源を同じくするアニメーションもそうです。実際には画面の出来事はありませんが、でもそこにあります。

 その不思議が世界観として表現されているのかもしれないと感じました。

 

世界か陽菜か。決断の解釈

 これが本題です。

 ここまでの文脈を踏まえると、結末の解釈は2つの見方があると思います。「『なさそうなもの』を『ない』とする一般常識的立場」と「『なさそうなもの』を『ある』とする主人公的立場」です。陽菜とともにセカイの形を変えてしまったとしている主人公の視点が主なので、後者の見方が自然だとは思いますが、映画の中の多くの一般人は前者の見方をしていると思われるわけで。

 前者は結局、「なんか知らんが雨が降り続けて東京が沈んでしまった。自然のことなのでどうしようもない、しょうがない。」とする見方で、最後のおばあちゃんのセリフからもうかがえます。後者は帆高の、「自分たちが世界の形を変えてしまった。雨が降り続くのは自分が陽菜を取り戻したからだ。」とする見方です。

 そして、2つと書きましたが、3つ目の見方が須賀さんの視点です。彼岸に行こうとする帆高を「あるわけねぇだろ。」として止めに来たかたと思えば、彼の陽菜への想いに共感して結局は「行け!」と言う。「世界の形を変えてしまった。」という帆高に対して、「うぬぼれてんじゃねぇ、バーカ。」と言ったと思えば、別れ際には「あんま気にすんなよ。」と言う。「『なさそうなもの』を『ない』とはするが、『ある』というやつの気持ちもわからんでもない」みたいな感じでしょうか。現実の立場に立ちながら、帆高の言うことを否定し切っていないように感じられ、われわれ観客の目線に結構近い存在であると考えられます。

 これらの視点を整理したところで改めて「帆高たちが『雨』を選択したこと」を考えると、その責任を帆高と陽菜に問うてくる存在がいないということになります。「雨が降る」のは「自然のせい」だから。帆高と陽菜が自分たちだけの秘密の責任に自責の念を感じることはあるかもしれませんが、世間的にはそこに何の責任もない。

 こう考えると、帆高と陽菜はただ「愛」を手に入れただけになるので、言ってみれば「ハッピーエンド」になるのかもしれません。

 

 

 他にも見る人によって違う見方があると思います。東京に住んでた人は知ってる景色が出てくるだけでテンションあがるかもしれませんし、主題歌の歌詞をよくよく聴いてみるとさらなる解釈が生まれるかもしれません。

 一つの映画を観ていろんな人のいろんな考えが見れるの、楽しいですね。

 一転攻勢

 

オタク

 逆張りオタクなので「天気の子」を観るかどうか怪しかったんですが、映画館でPV観た時にビビっときました。陽菜かわいいよな!二人称が君でお姉さん口調なのもよかった。本編で年下と分かってさらによかった。ノースリーブの服もよい。ありがとう、田中将賀。オタクとして行って満足な映画だろうと直感しました。

 多分このオタク視点でこの映画を観ると、帆高の行動も一貫して見えるんですよね。そりゃあんな女の子と出会ったら追いかけたくなりますわ。人も多いマクドナルドで自分のこと見てくれて、覚えててくれてて、空腹を気遣ってくれて、ハンバーガーをくれる。惚れるやん、普通。よかったな、帆高。

 あと、花火大会の浴衣陽菜とか、湯上り陽菜とか、高校制服陽菜とか。わかりみがすごい。ありがとう、新海誠

 多分これだけで映画に来た意味あんねんな。

 

オタク2

 グランドエスケープ。これだ。ほんまにこれ。帆高が陽菜を取り戻しに彼岸へ行き、「飛べ!」と言って二人一緒に空を落ちていく。「天気なんか狂ったままでいいんだ!」叫ぶ叫ぶ。陽菜が、陽菜だけがいてほしいんだ。世界なんて関係ない。何たるわがまま、何たるエゴ、何たる真っすぐな想い。いいねぇ~~~~~~~~~!!!

 

オタク3

 「飛べ!」という叫びと共に、世界を裏切る一歩を二人で踏み出す。この光景、実は観たことあります。

 そう、「中二病でも恋がしたい!」です。1期12話。中二病を諦め、祖父母の家にいた(現実的判断下の)六花を、勇太が取り戻しに行く。そして叫ぶ。「俺と一緒にリアルを変えたいと思わないのか!」「飛べ!」と。そして二人は中二病(「なさそうなもの」)を心に、愛に生きることを決めましたとさ。

 これや……!

 

結論

 「なさそうなもの」を「ある」と信じる帆高と陽菜の生きざまが美しく感じられた。

 

 そう、二人は世界の形を変えてしまった。世界か愛かの決断で、愛を選んだのだ。

 

 そう、二人は幸せだ。天気が狂ったままでも関係ない。心は晴れやかだ。大丈夫だ。愛にできることはまだある。二人ならこれから先もなんだって乗り越えられる。

 

 そう、これこそ、Weathering With Youだ。