線路は続くよどこまでも

気持ちが昂った時に書きます

京都アニメーション...

 ……………………。

 

 

 

 京都アニメーションが、放火されたらしい。

 

 呆然としている。今は、このよくわからない気持ちを整理するためにこうして言葉にしようとしている。自分のためだ。

 

 死者33名。人が死んだらしい。放火、人の手によって。

 

 僕の好きな京都アニメーションで。

 

 どう受け取ればよいのだろう。悲しみ、怒り、虚無感、無力感。負の感情があるのは確かだ。

 

 ニュースを見た最初、死者が出たという報道はまだなく、重傷者~名という形だった。どこか楽観していた。死んでないんだな、と。よかった、と。

 その後、バイトがあったのでテレビから離れた。ガソリンを用いた放火らしいという情報は入っていたが、あまり深く考えることもなくバイトしていた。

 バイト終わり。近くのとんかつ屋で晩御飯を食べていた時、置かれていたTVから流れていたニュースでは、また事件について報道されていた。ここで死者が出たことを知る。嫌な想像がよぎる。自分が好きだったアニメの監督が死んでしまっていたらどうしよう。生きていてほしい。

 —――なんで監督のことだけ心配してるんだ?他の人だったらいいのか?命の価値を比較するな。気持ち悪い感情。

 

 家に帰って、もう一度ニュースを観た。午後7時。事件はトップニュースで取り上げられていた。事の大きさを徐々に理解し始める。死者の数もさっきより増えていた。アニメを作っていただけの人が、何も悪くないはずの人が、突然死ぬ。意味が分からない。なんで?

 

 しばらくぼーっとアニメ観たりした。意外と普段通りに観れた。

 —――もうちょっと気が動転しててもいいんじゃないのか?悲しくないのか?なんで冷静でいられるんだ。どうしようもないのがわかってるからか。

 

 午後9時のニュース。同じようなことが報じられる。死者はさらに増え、33名。発火は1階。41歳の男がまいたガソリンで爆発。逃げる暇もなかったようだ。

 

 ツイッターを眺めた。事件を知って嘆く人たち。ご冥福を祈る著名人たち。不謹慎なことを言ってるような人。いろんな人がいる。

 

 「アニメ会社ではなく、一般企業が放火されたとして考えたら事件の恐ろしさがわかるだろう」とか、「普通の事件ではこんなに関心を示さないのに、アニメ会社が被害にあったら途端にオタクは騒ぐ」とか、「京アニのアニメ観れなくなるから悲しいってのは違う」とか、「異常な者が1人いるだけで人生を終わらせられる危険があるのは嫌だ」とか。

 

 いろんな悲しみがある。いろんな怖さがある。

 

―――本当の悲しみって何だ?気の悪い問いだ。悲しみに正しさも間違いもあるのか?同じ情報でも受ける悲しみはそれぞれで、そこに何の優劣比較は無いし、あるべきでもない。とはいえ、こんな問いも本筋とは外れているかもしれないが。

 

 犯人がこの世に元からいなければこんなことにはならなかったのに。少なくとも、何か犯行動機があったとして、その怒りのきっかけになった事象がなかったらよかったのに。ガソリンが売ってなければよかったのに。のに。ないものねだり。

 

 人の命は、二度と返ってこない。

 

 泣こうがわめこうが、どうしようが、何もできないものはできない。

 

 時間の流れが一方通行である以上、受け入れるしかない。

 

 そしてその後、何ができるのか。

 

 支援金を送り、亡くなられた方のご冥福を祈るのだろうか。

 

 わからない。何も。

 

 ただ、ひとつ。こんな事件は二度と起こってほしくないということだけ。